阿弥陀如来と大日如来 どちらが偉い
大日如来は「大日経」や「金剛頂経」などに説かれる仏さまで、「毘盧遮那仏」とも言われ、真言宗では、大宇宙の数えきれない仏の中で最高の仏さまとされています。
なぜ最高の仏さまかというと、大日経で、大日如来が「法界身」と説かれているからです。法界とは大宇宙のことですから、大日如来は、大宇宙そのもので、他の諸仏の中心と言われています。そして金剛頂経では、仏さまは、本来、色も形も臭いもなく、人間には認識できない存在なので、人間を救うためにいろいろな姿を現されると説かれます。真言宗では「四種法身」(シシュホッシン)といいます。
ところが、法界身というのは、大日如来だけではなく、仏さまは皆、本来は、色も形もない法界身なのです。観無量寿経には「諸仏如来はこれ法界身なり。」とあり、四種の法身についても、十地経には「一切の仏に三種の仏あり。一に応身仏。(救う相手に応じて現れた仏さま例えばお釈迦さま) 二に報身仏。(因に報いて現れた仏さまで、私たちに分かる姿を示された仏さま) 三に法身仏なり。(私たちには認識できない、色も形も臭いもない仏) このように、どの仏さまも本来は法身なのですが、私たちにわかるように、報身や応身となって現れるのです。
「大日経」では、大日如来の心と口と身体と、衆生の心と口と身体と一つになって、大日如来に救われようという「三密加持」(サンミツカジ)が教えられていますので、大日如来が中心に説かれるのは当然のことです。 一方、お釈迦さまは、「大阿弥陀経」と「大無量寿経」で「阿弥陀如来は諸仏の王でそのすばらしいお力は、他のいろいろの仏の力の及ぶところではない。」と説かれています。
それでは、大日如来と阿弥陀如来の関係はというと、お釈迦さまが説かれた一切経七千巻の中で、真言宗の「大日経」や「金剛頂経」ではなく、浄土宗の「大無量寿経」でもない他のお経の中に「大日如来を含めた全ての仏は、阿弥陀仏のお力によって仏の覚りを開かれた。」と般舟経(ハンジュキョウ)で、「大日如来を含む全ての仏は、阿弥陀仏の極楽浄土から出てこられた」と楞伽経(リョウガキョウ)で説かれています。
阿弥陀如来と大日如来の関係は、阿弥陀如来が先生で、大日如来が弟子ということになります。